「『我らは光より遣わされし身。他種族の干渉はうけない』ですってぇ?こっちだって干渉したくて干渉してるわけじゃないわよ!!」
 水行の領土は、巨大な湖がいくつかある。その湖の一つ一つが大きな街だ。店は水に漂う非固定型の物と、岩場などを利用している固定型の二つがある。
 生活の仕方もヒトそれぞれだ。その多くは、水中でも呼吸できるため、起きている間は水の中を自由に行き交っている。しかし、自分の巣という物は欲しい。湖の底には、ドーム型の居住区が無数にある。
 そして、ウンディーネのマーレの家も、同じく水底のドーム型の一つだ。マーレの向かいには、水に漂っている友人のルサールカであるスルスが居る。スルスの手には、酒の入ったボトルが握られている。その友人を見るマーレの顔には、苦笑と、若干の疲労が浮かんでいる。
「大体!私だって長寿族の命令じゃなかったら、あいつらの顔なんて見たくもないっつうの!!」  ルサールカとは、溺死したヒトの魂が、水によって身体から引き剥がされた姿である。外見年齢は、最も身体に力があった頃のものになる。
 スルスはそこまで言うと、手に持ったボトルに口をつけた。そして、ボトルの口付近にある栓を外し、中の酒を飲む。そして、栓を締めてから口を放す。水行の民は、水中にいるため、飲み物という概念が無かった。しかし、最近になってこのボトルが作られた。他の種族との交流がボトルを作らせたのだ。  それを聞いたスルスの顔が、渋くなる。
「あいつも長寿族には変わらないでしょ」
 その声には、どこか拗ねた響きがある。その反応に、マーレは首を傾げる。いつもと反応が違うからだ。いつもなら、その肌の青白さから、死者と間違われることもあるルサールカだ。しかし、それが冗談のように真っ赤になる。
「ヴォロンテさんと喧嘩した?」
 何気なく聞けば、顔を背ける。
「ど、どうしてそうなるのよ」
「どうしてって言われても……。私の知ってる長寿族って、あの人しかいないし。あなたにお願いしたのって、あの人でしょう」
「……お願いじゃなくて、命令」
 スルスの言葉に、マーレは適当な相づちをうつ。彼女とのこのやり取りも、何回やったかわからない。
 ヴォロンテというのは、長寿族の男だ。長寿族は、数少ない、属性を持たない種族だ。また、その立場も中立を貫いており、この世界で争いが少なくなるように努力している種族である。そして、水行の管理を任されているのがヴォロンテであり、その助手として様々な頼み事を聞いているのがスルスだ。
「じゃあ、そういうことにしておきましょうか」
「……ねぇ、変わってくれない?」
 アルコールを摂取したせいだろうか?水に漂うスルスの身体には、いつも以上に力が入っていない。その言葉もどこか芯がなく、マーレの耳に届く前に水に吸収されて消えてしまいそうだ。
「私は別にいいけど。あなたはそれで良いの」
「何がぁ」
「ヴォロンテさんになんて言うつもり?」
 マーレの言葉に、スルスは分かりやすくしょげてしまう。うなだれ、髪が顔を覆った状態で水に漂うその姿は、まさに死体のようだ。
「……あんた、いつもそうだけど中立的よねぇー」
「別に中立的じゃないでしょ。ただ単に、貴女が頼まれたんだから、貴女がやるべきだって言ってるだけよ」
「うー」
 水に漂うスルスが、身悶えする。
「あー。でもやっぱり無理。駄目もとであいつにヒト変えられないか頼んでみるわ。代役としてあんたの名前出すぐらいならいい?」
「まぁ、そのくらいならいいけど。……でも、何がそんなに気に入らないの?」
「全体的にぃ」
 飲み過ぎたのか、船を漕ぎながらスルスが言う。
「でも、……特に気に入らないのは、……こっちを見下してること……。……それに、あいつら、……長寿族は……」
 そう言って、スルスがなにも言わなくなった。疑問に思い水に漂うスルスを見上げれば、目を瞑り意識を手放している。
「スルス」
「ああ、うん」
 声をかけると、スルスが起きた。頭を左右に振り、意識を意識をはっきりさせようとしているようだ。
「で、上では長寿族のことをなんて言ってたの?」
 促してやらないと続きを話しそうに無かったので、続きを促す。
「だからぁ、長寿族はこの世界の統治者にはふさわしくないなんて言うの!」
 いつものように、覚醒と同時にテンションが上がったスルスがほえる。その、あまりの大声に、水の振動としてこちらに届く。初めて呑んだときには、水が振動するほどの大声を初めて聞いたため驚いたが、今では慣れたもので、聞き流すことができる。
「はいはい。私は長寿族にそこまで思い入れ無いから、感情抑えて冷静に対応できるし。ようはあれでしょう。好きなヒトを間接的にとはいえ侮辱されて、ついカッとなったってことでしょ」
「うるさい……」
 水に漂いながらスルスが言い返す。その言葉には再び力がなくなりつつある。
「でも、一体何について交渉してたの?」
 半分眠っているスルスに聞く。今聞かなければ、代役として成立したときに役に立てるかも分からない。
「……陽行の祭壇の……管理について……」
 それを聞いたマーレは、面倒なことに巻き込まれそうだと思いながらも、再び眠りについたスルスを家に帰すべく、彼女に向かって身体を浮かせた。b
 マーレは陽行が用意した水槽の中に居た。右手には彼女が運ばれてきた通路があり、それ以外には何も無い部屋だ。その中央に彼女の入っている水槽がある。水は座った彼女の肩の辺りまで。外から見れば、風呂に入っているようにみえるだろう。始めは、水の循環もしていない、こんな水槽に入れられるのは甚だ不本意なのだが、知り合いの長寿族、ヴォロンテに頼み込まれて、渋々同意したのだ。
 そして、陽行の用意したこの水槽に入り、ここまで連れてこられたのは良い。しかし、一向に待ち人がこない。
 結局、スルスに変わって陽行と交渉することになったマーレは、しかし、戸惑っていた。それは、マーレに変わって陽行と交渉することになった際、ヴォロンテに説明されたことが原因だ。
 それは、選民思想の強い陽行の種族。その管理する祭壇を、他種族が管理するといったものだ。この世界において、祭壇とは同種の属性の能力を高めることが出来る。そのため、祭壇は他の属性の種族が治めることにしようというのが最近の流れだ。
 そこまではいい。問題はその方法だった。陽行の交渉人と恋人関係になれば作業もスムーズにいくだろうとのことだ。そして、祭壇の交渉役は、そのまま管理人となり、その土地で祭壇を守り続ける。
 それは、
(ヴォロンテさんは、スルスとの縁を切ろうとしていた……?)
 マーレにとって、陽行の祭壇がどこの誰に支配されようと知ったことではない。実際、水の民の祭壇も弱点属性である土の民に管理されているし、火の民の祭壇の管理を水の民は行っている。マーレにとって重要なのは、友人であるスルスの恋愛のことだ。 (私はヴォロンテさんがそんなこと今更気にするとも思えないし……。ま、後で考えよう。それでも分からなかったら本人に聞くし)
 水面を尾びれで叩くことで気持ちの切り替えを終わらす。常に水中で生活し、滅多に浮上しない彼女にとって、水面を叩けるというのは新鮮なことだった。しかし、新鮮であり、物珍しくはあるが、それだけだ。いくらやっても時間はすすまない。
(全く……どれだけヒトを待たせるつもりかしら)
 既にマーレが来てから大分時間が経っている。まさかこんな所で陽行のルーズさを思い知ることになると思っていなかったマーレは、限界に近かった。自他共に温厚な性格であることを認識している彼女にとって、別に待つことは苦痛ではない。しかし、それは周りに新鮮な水があればの話だ。もしもここが水行の地であれば、水は自然と浄化されるのだが、ここは水行の土地ではない。おまけに、循環すらしていない。
(もしかして私、殺されるのかしら?)
 そうではないと、内心で首をふる。もしもここで自分が死んでしまえば、それば重大な外交問題に発展する。水行が単独で行っている交渉ごとならまだ良いが、これは長寿族を経由した交渉だ。最低でも水行と長寿族の連盟と陽行の戦いに発展するだろう。そこまでして陽行が得をするとは思えない。
(実際。もう大分苦しいし。もし殺す意思が無かったとしても、そう思われても仕方がないわよね、これ)
 マーレは体勢を変え、水槽の枠に寄りかかるようにする。意識が朦朧とし、身体に力は入らない。
(別に、私が死んで、最終的に陽行が滅びるのは良いんだけど、せめてこれが意図的なものかは知りたいわね……)
 朦朧とする頭で考えていると、何やら右手側。通路が騒がしくなってきた。緩慢な動作でそちらに視線を向けると、六枚の翼を持った天使とウトゥックがこちらに飛んでくるのが分かる。色鮮やかな翼で、その天使の階級が高いことが分かる。ウトゥックは、人間の身体に牛の頭を持ち、翼を出すこともできる種族だ。
 飛んでいる天使はかなりの速度を出しているのか、追従しているウトゥックは若干泡を吹いている。
 それを見たマーレは、どうやらこれが手違いによるものだとわかった。少なくとも、今追従者を無視した速度で、こちらに飛んでくる天使は、この交渉の場を大事に思っているようだ。
「大丈夫か?!」
マーレのいる水槽にたどり着いた天使の、無事を尋ねる声が、朦朧とした頭に響く。マーレは、それに対して弱々しく微笑むと、水面を一度尾びれで叩く。すると、天使が音に引かれて尾びれを見た。しかし、眉をひそめるだけで、マーレの言いたいことは伝わらないようだ。マーレは、それでも水面を叩く。
 そうしていると、やがて天使の後ろを飛んでいたウトゥックが追いついた。
「イ、イデア様、何をなさっているのです?」
 口の端についた泡を拭いながらウトゥックがいう。その顔を見た時、マーレを運んできた陽行の種族の一人だということが分かった。その身体からは微かにアルコール臭がする。どうやら少量だが呑んだらしい。
「何だこの女?バシャバシャうるせぇな」
「ケレス、黙れ。これが貴様の下らん判断が招いた状況だと分かっているのか。それとも、今ここで強制的に黙らされたいか!」
 イデアと呼ばれた天使がそうすごむと、ケレスというらしいウトゥックが軽い身震いと共に口をつぐんだ。
「水面を叩いてばかりでは分からない。私は何をすれば良い?!」
「……とりあえず、泉にぶち込めばいいんじゃないですか」
 思わずといった様子でケレスが呟く。
「ケレス、貴様黙れというのが……!!」
 凄まじい形相でケレスに振り向こうとしたイデアの袖を引く。
 そして、イデアに軽く頷くと、マーレはそのまま気を失った。
 頷いたのがケレスに対するgoサインだと思われなかったことを祈りながら。

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