三つの月が地上を照らす中、教会が祝福の鐘を打ち鳴らした。
 普段は人が全く集まらない教会にも、今日だけは人が集まっている。ここの住人は、内容がどんなものでも、騒ぐ口実を捜しているような奴らだ。そんな奴らが、結婚式などというお祭りごとを見逃すわけがない。
 そして、教会で祝福されているのは左右で違う長さの翼を持つ悪魔と、眼帯と鷹色の翼をもつガルーダ、マルクスとミルティスだ。

 マルクスがルシフェルに作戦を打ち明けられた直後、彼はその足で教会に向かい、ミルティスにルシフェルの作戦を話した後、結婚話を持ち出した。それを聞いたミルティスは、マルクスを教会の奥の個室に誘った。
 個室に入ると、ミルティスは鍵を閉めると、中のマルクスに半眼を向けた。
「で?どういうつもりかしら?」
 ミルティスはそれだけしか言わなかったが、その半眼には猜疑心が満たされていた。
「さっきも言った通りだ。隊長がこの教会を狙っている。そうなると、この都市の形が変わってしまう。それが嫌だから、俺はそれを阻止したい」
 ミルティスがため息一つ。
「それだけ?」
「なにがだ?」
 さらにミルティスがため息を一つ吐いた。今度のは先ほどのよりも大きい。
「まぁいいわ。それじゃあ結婚しましょう」
「……お前なぁ。もうちょっと考えたりしないか普通」
 自分の持ちかけた話だとはいえ、ミルティスがあまりにもあっさりと承諾したので、肩を落とす。
「そっちが持ちかけた話でしょう。ついでだから軍もやめなさい。教会で働けば問題ないわ」
「どうしてそうなるんだ?」
 ミルティスの話に首をかしげる。マルクスとしては、結婚した後は軍で働きつつ、ルシフェルの行動を監視しようと思っていたのだ。軍の内部にはマルクスの部下や同僚もいるので、やめてしまっても間接的に情報を得る事は出来るが、それではどうしても情報の精度に欠ける。
「あんたが働いているときにここが攻められたらどうするのよ。四六時中あの女に付きまとうわけにもいかないし、例えそうしても、別働隊に攻められたら終わりよ」
「……それもそうか」

 そんなやり取りの末、二人は結婚する事になり、マルクスは教会で働く事になった。ただし、教会の性質上、悪魔は教会の最新部、地下にある儀式上に入る事は許可されない。そのため、マルクスはミルティスと非常時の取り決めをいくつか交わした。
 マルクスの教会での仕事は、日用品の補充や、教会に来る人からの情報収集だ。
 結婚してから二ヶ月がたった。結婚した直後は、マルクスが結婚したのは教会の力を利用するためだといった噂も下火になり、マルクスとミルティスも二人の生活に慣れてきた。
 そんなある日の夜。
 二人は同じベッドの中で話していた。
「そろそろ隊長も諦めた頃だろうか?」
「まだそんな事言ってるの?」
 ミルティスは自分の背中を撫でるマルクスの手を感じながら口を開く。
「俺は平和主義なんだよ」
「黒い旋風がよく言うわ」
 ミルティスがマルクスの二つ名を口にする。
「その名前で呼ぶんじゃねぇ」
 昔の名前を出されたマルクスの表情は苦々しいものとなる。
「そうね。悪かったわ」
 少しも悪びれる事なく謝られたので、背中に這わせていた手でミルティスの翼の付け根を刺激してやる。すると、くすぐったそうに体をマルクスに押し付けてきた。むき出しの肌がこすれ合う。
「……でも、実際の所どうなのかしら。そっちには何の情報もないの?」
「あの人が隠そうとすれば誰も見つけられねーよ」
「戦う前から諦めないでよ」
「諦めてねーよ。見つけられなくても戦い方はいろいろとあるんだ。それに戦う前から諦めるようには育てられてないから安心しろ」
「誰に?」
「隊長に。『例え相手が命の恩人。生みの親であっても敵対した以上は死ぬまで諦めるな。諦めるなら一人でさっさと死ね』ってさ」
「そう。じゃあ頑張ってね。この都市が好きなんでしょう?」
「ああ、お前も気をつけろよ」
 そう言うと、マルクスはミルティスと口づけを交わすと、彼女の背中に這わせていた手を彼女の体の前にまわした。

 その日、マルクスは朝から教会を出ると、中央通りで日用品の買い出しに出かけていた。ミルティスも誘ったのだが、彼女は彼女の用事で忙しく、必要なものを書いたメモを渡された。どうやらついでに買ってこいという事らしい。
 途中まで順調に買い物をしていたマルクスだったが、ふと教会の方を見たとき、何か嫌な予感がした。そしてそれが確信に変わるのにはそう長い時間がかからなかった。一日の始まりの合図、始業の鐘がならないのだ。既に太陽は昇っており、天頂にある月まではまだ大分あるが、それなりに時間は経っている。
 それに気がつくとマルクスは手に持っていた荷物を放り出し、教会へと駆け出した。そして走りながら懐からナイフを一振り取り出すと、それで己の翼を切り取った。慣れた痛みにそれでも顔を顰めながらその作業を終えると、それを握りしめた。そしてそれに闇の精霊を送り込む事で精霊術が発動。翼の切れ端は3mほどもある漆黒の鷹になった。その背中に飛び乗ると、鷹は勢いよく飛翔し、マルクスを乗せて教会に向った。
 教会に着くと、その扉が大きく開かれたままになっていた。ミルティスがそれを何より嫌う事を最近知ったマルクスは、これが非常事態であると再認識した。大鷹の遣魔から降りると、大鷹に空を回空するように命じた。そして大鷹が空高く舞い上がったのを見届けると、マルクスは教会に踏み込んだ。
 有事の際、他はどうでもいいからとにかく祭壇の様子を見るようにとミルティスには言われている。その為、とにかく地下に向かう。正直な所を言えば、悪魔の自分が入ってもいいのかという疑問はあったものの、それを聞ける相手は恐らく祭壇にいるし、なにより祭壇の様子を見ろと言われているので突き進む事にした。
「……隊長」
 地下に足を踏み入れたマルクスは、そこでミルティスを肩に担ぎ、祭壇へと向かうルシフェルを見つけた。
「なんだ。タイミングが悪い奴だな。もう少し早ければこの女と二人掛かり、どうにか私を倒せたかもしれないのに」
 そういうルシフェルの体には、いたるところに浅い切り傷がある。
「何をしているんですか」
「見て分かれよマルクス」
 そう言うと、ルシフェルはミルティスをマルクスに放り投げた。それを慌てて受け止め、そしてその陰に隠れて突っ込んで来たルシフェルの体当たりを思い切り受け止めてしまう。そして大きく吹き飛ばされ、降りて来た階段に背中からぶつかる。
「だらしないぞマルクス。短い間にずいぶんと弱くなったな。その雌に骨抜きにされたか?」
 ルシフェルの言葉を無視してミルティスの容体を見る。辛うじて息はあるようだが、今すぐ治療せねば死んでしまうだろう。しかし、今ここで彼女を病院に連れて行き助けたとしても、彼女は喜ばないだろう。さらに、今病院に連れて行ってもすでも誰もいない。
「その女を投げたのだって囮だと、昔の君ならすぐに気がつき、馬鹿正直に受け止める事なんてなかっただろう?」
 マルクスは、ミルティスを階段に横たえると、懐からナイフを取り出し、左の翼を少し切り落とす。
「おや。この私と本気で戦おうというのか?」
「そのように教えたのは貴女だ」
 そう言うと先程の鷹と同じ要領で、周りの闇の精霊を翼の切れ端に送り込む。先程と違うのは、周りにいる闇の精霊の密度が違うので、媒体とした物が大きくなる速度だ。
「なるほど。精霊が無限にいるこの状況は君と相性がいいようだな」
 ルシフェルがそう言い終わるまでにマルクスは媒体への精霊供給をやめ、その形を固定。全長5m程の鷹ができる。その鷹を飛ばしたマルクスはさらに左の翼を切り落とすと、先程よりも早い速度で二体目を作り出した。
「常々思っていたのだが、それ痛くないのか?それに君が作る物の大半が鷹の姿をしているのにはあの雌に影響を受けているのか?」
 マルクスはルシフェルの言葉には何も返さず、ただただ遣魔を作り出していく。
「黙りか。まあいい。そろそろ人形を見るのも飽きて来たからな」
 そう言ったルシフェルは祭壇に近づき、それに触った。瞬間。祭壇から全てを飲み込まんとする闇が広がった。それはガルケを飲み込み、そしていきなり消え去った。


 ガルケが消え去った瞬間を、マルクスは上空から見ていた。その背にあった翼は今、跡形もなく消え去っている。彼を支えているのは漆黒の大鷹だ。そして、いきなりその大鷹が口を開く。
「無茶するわね」
 その様子にマルクスが驚く事はない。
「その体の調子はどうだ、ミルティス」
「本物の鷹も悪くないわね。故郷では時々鷹になったりもしてたし、あんまり違和感ないわ。人型にはなれるの?」
「俺の意思次第だな。自意識はあるが、遣魔である事に変わりはない」
「そう。で?どうしてこんな事になってるの?」
「咄嗟の判断さ。爆発する直前、翼を切り落として、発生する精霊をありったけ集めた。それをお前の体に巻きつけて、お前の体を媒体にして遣魔を作った。正直、お前の意識が残るかどうかは賭けだったんだが、成功したみたいだな。お前が望むなら子供も作れるだろ。それと、ガルケの住民は大丈夫だから」
「え?」
 そう言ってマルクスが下を指差すと、そこには大勢の人が黒い塊として見る事ができた。 「どういう事?」
「噂のおかげだよ」
「噂?」
「そう。噂。結婚してからずっと、大鴉が空を飛び始めたらこの街が消滅する前触れだって噂を流してたのさ」
「大鴉?」
「闇の精霊術でしか遣魔は作れないんだけど、作っても闇色になるんだよな。俺は鷹を意識して作ってるだけど、遠目にはどうしても鴉に見えるんだよ」
 そういうマルクスだが、今彼を掴んでいる大鷹はしっかりと色付いている。恐らくミルティスを媒介にしたからだろうと少し彼女に申し訳なく思うが、それは口にしない事にした。
「どうしてあの女にこれをしなかったの?」
「阿保か。結婚した女より他の女を優先する程腐ってねぇ」
「……ばか」
 ミルティスの呟きを聞こえないふりで受け流すと、マルクスは下の大陸に行くようミルティスに指示をした。
  


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