背中の荷物を、軽く跳ねる事で位置を直す。
 振り返れば故郷の街が見えるだろうが、それはしない。すれば寂しくなることは分かっている。寂しくなれば、自分の決心が揺らぐことが分かっていたからだ。
 この出発は自分を試すための冒険だ。小さい頃から憧れていた外の世界に、今、青年は一歩を踏み出した。

 青年が外の世界に憧れたのは、幼い頃、街の外から来た行商人の話を聞いたからだ。そこには一面に広がる湖や、寒くない夜。暗くない夜。空を漂う虹色のカーテン等、幼かった青年の心をつかんで離さない物で満ちあふれていた。時には、命を狙う毒の虫や、群れをなして襲ってくる犬の群れなど、恐ろしいと思う事もあった。周囲の大人達には、全部本気にしているのか?あんなものほとんどが作り話だよ。とも言われた。しかし、彼の心には、『いつか街の外に出る』という夢が芽生えていた。
 大きくなるにつれて、疑う事を知らない少年ではいられなくなった。自分の周囲には手助けしてくれる人間だけでなく、彼を陥れようとする者がいる事も分かり始めた。外に出る事がどれほど大変で、また、出た後はもっと大変だという事も分かってしまった。
 なにも無ければ、青年はこのまま街で一生を終えていたかもしれない。
 しかし、ある日、両親が他界した。青年の両親が営む旅館の成功を妬んだ者の犯行だった。
 そのまま街に居ても、青年はなんとか暮らしていけただろう。馴染みの取引先は青年に優しくしてくれたし、他にも多くの人たちが青年を助けてくれた。それは両親が築き上げてきた物だ。それに甘えていれば、しがらみにとらわれ、きっと身動きが取れなくなる。そう考えた青年は、自由を手に入れるために旅立つ決心をした。

「・・・・・・参った」
 街を飛び出した青年は、早速途方に暮れていた。その右手には空になった水筒。足下には大量の食べ物の残骸。
 もちろん、街を飛び出して浮かれきっていた青年が1人でやった訳ではない。

 街を出た青年を迎えたのは、どこを向いても黄色い砂と青い空が支配する世界。話の中でしか知らなかったものだ。頭上からは、街を出た瞬間から本気を出したかのような太陽の熱が、青年を攻撃してくる。その暑ささえも、初めて街の外に出た青年には愛おしかった。
 青年は、背負った荷物から干し肉を一枚取り出すと、それを咥えた。街の中にいると、行儀が悪いといわれ、やりたくとも出来なかった事だ。いままでできなかった事が、街の外に出るといとも簡単にできる事が、青年には新鮮だった。
 そのまましばらく歩いていると、足下を小型のトカゲがうろちょろし始めた。はじめの方は気にしていなかったのだが、あまりにも視界の端をすばしこく動き回るので、鬱陶しくなった。
 そこで、視線を下に落とし、そのトカゲを見る。すると、トカゲも青年の目をじっと見返した。・・・・・・いや、正確にはその口に咥えた干し肉を。
「俺が食いかけの干し肉をやるか、新しい干し肉をやるか、それが問題だ」
 青年に干し肉をやらないという選択肢はない。
「まぁ、ちょっともったいない気もするけど」
 そう言うと、青年は荷物から干し肉を取り出すと、小さくちぎって少し遠くに投げた。青年の動向を見ていたトカゲは、投げられた干し肉を追って走り出した。
 トカゲを見送った青年は、顔を正面に向け、再び歩き出した。
「・・・・・・お?」
 青年の目に映ったのは、砂のあちこちから顔を出すトカゲの姿。
「もしかして、ヤバかったかなー・・・・・・」
 その状況になって、ようやく事態の深刻さに気がついた青年だが、時既に遅し。
 青年がどこから干し肉を取り出したかを見ていたのだろう。トカゲ達は青年の荷物目掛けて一斉に襲いかかってきた。
「お、おぉぉぉ!?」
 青年も慌てて駆け出す。進行方向は前方。トカゲに向かう形で。そして、トカゲの群れの直前で跳躍。トカゲの包囲網を飛び越えた。
「ざまぁみろ!!」
 そのまま振り向く事無く走る青年。
 青年の誤算は、足場が悪いだけで、予想以上に体力を消耗するということだ。
 後方を確認すれば、トカゲ達は青年から一定の距離を保ちながら追いかけてくる。それを見た瞬間、青年は自分の立場を理解した。おそらくあのトカゲ達はこのような手法の狩りを幾度もしているのだろう。ならば、抵抗するだけ体力の無駄だ。
 青年は、走りながら荷物を背中から下ろすと、それを後方に向けてスロー。
 投げ捨てた荷物を確認せずに、しばらく走った。そして、荷物が砂に着地する音を確認すると、そこで停止。荷物を見た。
「おぉー。群がっとるねぇ」
 荷物には大量のトカゲが群がり、その中にある食料という食料をあさっていた。
 その場に座り込み、荷物の中身が持っていかれるのを眺める。
 ほどなくして、荷物からトカゲが居なくなった。食料にありつけなかったトカゲが、数匹青年を観察していたが、青年が何も持っていない事をアピールすると、何もせずに砂の中に消えていった。
 そうして、青年の周りに食料の残骸は形成された。


 トカゲによってもくろみをぶち壊された青年は、しばらくその場で呆としていたが、陽射しを遮るものが何も無いこのような場所に居ては、一日と置く事無く先ほど持っていかれた干し肉のようになってしまう。
 分かってはいるが、どうにも動けない。確実に生き残る方法としては、このまま街に引き返すこと。幸い街から出てそれほど歩いていない。すぐに補給を受ける事は出来るだろう。しかしそれは青年のプライドが邪魔をする。
 目を閉じて仰向けに倒れれば、瞼を通して目を焼かんとする太陽の光を感じる事ができる。
 どれほどそうしていただろう?背中側から、地響きの様な物を感じた。あぁ、これが死者を運ぶ地底王の馬車の音かと思った。思ったよりも早かったなと思っていると、瞼を焼いていた太陽の光が遮られた。
 恐る恐る目を開ける。聞くところによれば、地底王は骸骨の馬二頭が引く馬車に乗り、その後ろには砂漠上で死んだものを括り付けているらしい。
 はたしてそこには、想像の中の地底王とは似ても似つかない、普通の馬車が止まっていた。
「おい、そこの死に損ない」
 声のした方を向けば、御者台には人が一人座っていた。顔立ちは青年と同様ターバンで巻かれているため分からない。
「お、俺のことか?」
「ほかに誰が居る。状況から判断するに、どうせトカゲに食料全部持っていかれたんだろう。ここで死にたいなら別だが、死にたくないなら後ろに乗れ。隣町まで運んでやる」
「い、良いのか?!」 「砂漠で困っている奴が居れば助ける。これはおれたち行商人にとっては自然な流れだ。自分がいつそうなるかわからんからな」
「ありがとう!」
 青年は身体を起こすと、身体について砂を払い、御者台に乗った。その時、微かに行商人の空気が固くなった。
「おい。おれは後ろに乗れと言った筈だが?」
「あぁ、悪い。こっちからしか後ろに回った事がないからよ」
 そう言うと、青年は荷台とのしきりにされている布を潜って幌の中に入る。中には商品なのだろう。種類も数も多い果物や食料が所狭しと並べられていた。新鮮な果物なのだろう。芳醇な香りが青年の鼻をくすぐっていく。
「いつから行商はしてるんだ?」
「生まれた頃からだ」
「じゃあ、両親の後を次いで?」
「・・・・・・馬車から降ろされたくなければ少し黙っていろ」
 数時間ぶりに人と話せる事に嬉しくなっていた青年は、一言謝ると、それからは一言も喋る事無く、幌の中から見える、半円状の空を見ていた。

 振動が止まった事で目を覚ます。どうやら眠っていたらしい。
 馬車の後ろに目を向ければ、眠る前は無かった建物が見える。
「いまどうなってるんだ・・・・・・?」
「今から取引先にその果物を卸しにいく。お前はここで降りろ」
 声のした方に顔を振る。そこには砂漠で倒れていた青年を拾ってくれたターバン顔の行商人がいる。
「卸しにいくってことは食堂?それとも旅館みたいなところか?」
「・・・・・・旅人向けの旅籠だ」
 馬車に乗る前よりも、心持ち口が重い気がする。おまけに、やたらと素直だ。出会った直後の印象では、どこと取引するかを聞けば、『関係ないだろ』と言ってさっさと馬車からたたき落とされると思っていたからだ。
「じゃあ、そこまで連れて行ってくれ」
「・・・・・・わかった」
 これまた意外。まあ、ここで下ろしても、結局は青年が旅籠の方に向かうと思ったのかもしれない。だとしたら、予想以上に親切だ。自分の観察眼もまだまだだと未熟を感じる。旅館をやっており、四六時中人と接していた両親と、裏方ばかりで、表は手伝う程度にしかやらせて貰えなかった青年の間には、どうやら青年が思っている以上の距離があるらしい。分かっていた事ではあるが、その事実を突きつけられると、結構つらい。
 再び馬車が止まった。
(・・・・・・お、着いたかな)
 馬車から降りるために、荷台の後ろに向かう。荷台がそこまで大きくないので、座っていた場所からは、そんなに距離がある訳ではない。荷台の後ろから下を見下ろすと、予想以上に高さがある。その高さに、尻込みしていると、怒鳴り声が聞こえてきた。何を言っているかは分からないが、怒鳴っている事だけは分かる。そんな声だ。
 なにやら誰かが諍いを起こしているらしい。旅館でのそういった諍いは青年が収めていたので、思わず飛び出した。何も考えてなかったので、その着地の衝撃に少しの間動けなくなる。
 衝撃が過ぎ去ると、声のきこえた方向へ足を進める。
 そこで諍っていたのは、青年を拾った行商人と、旅籠の主人と思われる太った男だ。
 そこに向かいながら、顔のターバンを剥ぎ取る。
「まぁまぁまぁ!!落ち着きましょう!どうしたんです?」
 怒鳴っていた旅籠の主人の声を上回る声を出しながら二人の側によっていく。
 突然外から掛けられた大声に、旅籠の主人が思わずといったようすで口をつぐむ。
「どうしたもこうしたも・・・・・・。この野郎がいきなり来て、いつもと同じ値で取引しろと言いやがるからよぅ。顔も出さずにいきなりそんな事言われたら、こっちだって怒りたくもなるさ」
「ご主人はこちらの商人とは初対面で?」 「あぁそうだよ!オレにこんな礼儀知らずな知り合いはいねぇ!!」
 それを聞いた青年は、内心で1つ頷く。
「分かりました。ではとりあえず商品を見てみませんか?商品を見てからでも、取引するか決めるのは遅くないでしょう?」
 旅籠の主人は頷くと、行商人の幌馬車に近づいた。そして、その荷台に積まれた果物を見る。そして、その瑞々しさに目を見張った。
「こ、これは・・・・・・!!おい!あんた!これどこから!?」
 突然声をかけられた行商人が、慌てた様子で指差す。その指の先には青年の飛び出してきた街がある。
「そ、それはすげぇ・・・・・・!悪かったな!この果物・・・・・・この値段でどうだ!」
 そう言って、懐から取り出した紙に書き込んだ値段は、相場よりは少し高い位の値段だ。・・・・・・しかし、それはこの町の、みずみずしさのない、少ししなびた果物の価格だ。青年を運んでくれた行商人も、少し不満そうな雰囲気を出している。
「いやいや主人。それは少し買い叩き過ぎでしょう。この町の果物の相場から考えると高いですが、この果物はこの町の果物とは比べようも無いほど質がいい。その5倍は出していただかないと」
「5ッ・・・・・・!!」
 青年の言葉に驚く主人。しかし考え直したのか、その指を二本立てる。
「2倍だ」
「では、他の食事どころにでも行きましょう。そこの行商人、行商人とは思えない程商談の出来ない方のようでしたが、私が出ればそれくらいの値は出してくれるでしょう」
「・・・・・・3倍!」
「4倍」
「3.5倍だ!それ以上は出せねぇ!!」
「分かりました。差額分は勉強代という事にしておきましょう」
 主人は頷くと、早速果物を卸し始めた。青年はその側で数を数える。何をどのくらい卸したかを覚えておかなければ、後々もめる原因になる。どこかの商会を間に挟めばこんな面倒な事はしなくても良いのだが、いきなりの事なのでそうもいかない。青年は、一歩引いたところで見ている行商人にいらだちながらも、果物が卸し終わるまでそこで果物の数を数えていた。

「で」
 今青年の目の前には行商人が荷台に直に座っている。青年はそれを見下ろすようにして立っている。
「あんた、商売する気あんのか?商談に入る前に顔見せるのは当然だし、馴染みの取引先でも世間話入るもんだろ。世間話とは言わなくても、いつもお世話になってますとか、挨拶するのは当然だ。それをいきなり押し掛けていつもと同じ値段で取引しろとか・・・・・・」
 青年が何かを言うたびに、目の前の行商人の姿が小さくなる。
「なんで顔隠したままで行ったんだ」
 青年の言葉に、行商人は少し躊躇った。そして、その顔のターバンを剥ぎ取る。
「・・・・・・ああ、そういうこと」
 ターバンの下から現れたのは、長い黒髪を持った女性だった。

「父様が他界して、今日が初めての取引だったんだ。それまでおれは馬車の手綱しか握らせてもらえなくて・・・・・・。でも、行商でしか生活する方法をしらない」  場所は変わって、町の外れ。一本だけ生えた木の側に馬車を括り付けて、夜風を感じながら女性の話を聞く。
「・・・・・・馴染みの取引先は助けてくれなかったのか」
「父様はおれの事を男として外でも扱っていた。男だったら良かったけど、女だからな。取引先に泣きついても、娼館か、奴隷か・・・・・・。どちらにしろ、売られて終わりだ」
「そうだったか」
「お前はどうしたんだ。どこであんな交渉の仕方を覚えた」
「俺は旅館の息子だったからな。仕入れ先との交渉はしょっちゅう見てたし、たまに任せてもらってた」
「継がなかったのか」
「ま、成功者を妬む奴はどこにでもいるさ。行き過ぎた行動をとる奴もな」
 青年の言葉を聞いた女性は、黙り込んだ。
「・・・・・・なぁ。お前の扱う商品の交渉俺に任せてくれないか」
「・・・・・・え?」
 

 砂漠を越えて、町に入る。馴染みとなった道を行けば、同じく馴染みになった店主が顔を見せる。
「よう!いつもご苦労さん!」
「おぉ!いつもの様にみずみずしい果物だ!ありがたく受け取れよ!」
 まだ距離があるというのに、大声で声を掛け合えば、荷台から泣き声が響いた。
 未だにその泣き声に慣れない。店主はその泣き声がどこから聞こえるのかに気がつくと、一瞬唖然とする。しかし、その一瞬後には、笑みをよりいっそう濃くして手を大きく振ってきた。

Yves TOPTAROT TOP
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