「失礼します」
 ノックの音とともに、長身の人影が入ってきた。その人影はこの部屋の主とは異なる姿をしていた。二本足で歩いてはいるが、全身は毛で覆われ、その頭は狼なのだ。
「どうした。まだ許可してないよ」
 部屋の主は、目の前に積まれた書類を確認しながら入ってきた狼にそう言った。
「許可を待っていてはこの部屋に入れませんので」
 狼の言葉に、部屋の主であり、この領地の皇帝は鼻を鳴らす。
「誰だって面倒なことは避けたいでしょ。お前が入ってくるといつも面倒ごとだ」
 手を止め、背もたれに寄りかかると、大きく伸びをした。
「で、今日はなんのようだ」
 皇帝に聞かれた狼は、その手に持っていた封筒を皇帝の目の前の机に置く。
「中はまだ見てませんが、おそらく隣の国のことでしょう。またレギオン教だと思いますよ。聞いた話だとレギオン教の中で穏健派と過激派に分かれつつあるとか」
 狼の言葉を聞いた皇帝は、大きく息を吐くと、机にもたれ掛かった。
「なんだ、そんなことかよ。もぉー。そんなの俺に関係ないだろぉ。適当に返事しといてくれよ」
「そういうわけにもいきません。まだ中を見ていないので、実際にどのようなことが書かれているかわからないからです」
 狼の言葉を聞いた皇帝は、机にもたれ掛かったままで手紙を手に取る。
 手紙のおもて面を確認し、裏面を見る。手紙の封に使われている印を見て、嫌そうに眉をひそめた。それだけでは済まさず、口も大きく歪めると、いやいやその封を切っていく。
 手紙をとりだした皇帝は、その文面を読み進めていく。読み進めるごとに、その表情は苦々しくなっていき、最後まで読み終わると、その手紙を投げ捨てた。
「こんなこと俺に言うんじゃねーよ!!関わりたくねぇ!」
 投げ捨てられた手紙を、狼は拾い上げ読み進める。読み終わると、視線を上げ皇帝を見る。
「なぜですか。いい話だと思いますよ。相手は聖母と呼ばれるほどの方でしょう?」
「なんでそんなやつと結婚しなきゃならねぇんだよ!穏健派の立場強化の為の政略結婚なのは目に見えてるじゃねぇか!」
「そうはいいますが、皇帝もいい歳ですし、そろそろ結婚されては?」
 皇帝は今年で25。為政者としては晩婚といってもいいだろう。
「やだよ。皇帝なんて立場に即位しているが、やめられるんならいつでもやめたい。ましてや結婚なんて。わざわざ苦労しにいくだけだろ」
「いえいえ。そうとも言えませんよ」
 そういう狼はすでに結婚して、4児の親だ。軍の上層部に所属している狼だが、軍の末端からも苦情が来ている。行きあう人に妻子ののろけ話をするからだ。
「ノロケ話をしてみろ。お前を退官させるように方々に働きかけるからな」
「そんな!私にはまだ養うべき妻子がいるのです!今職を失うなんてことできません!食べ盛りの子供達と、それを怒る妻!あぁっ!地獄絵図!でもそれもいいなぁ・・・・・・」
「うるせぇ。わかってるよ。そんなことしねぇって。すでにノロケ入ってるからな、それ」
「この程度で?!だったら私はなんの話もできません!」 
 目の前の狼は優秀なのだが、家族のこととなると騒がしくなるのがいけない。
「とにかく。俺は結婚するつもりはないからな。この領地のことだけで手一杯なのに、他の国のこと、しかも宗教なんて複雑なことに首を突っ込みたくない」
 皇帝の納める領地では、隣の国のように宗教活動は活発ではない。どちらかといえば軍事国家であり、武力が優先されている場所だ。宗教は人にもよるが、ジングスを超えるものではなく、験担ぎの域を超えることはない。そのような土地柄のため、皇帝のように、宗教がややこしいものであるという認識は一般的だ。
「俺たちが土の中で生活してるのは、地下の方が便利だからだ。上にものを作ったところで、移動するには太陽の下に出なくちゃいけねぇ。だったらトンネル掘った方が効率的。それだけの理由だ。前世の行いなんかしったことかよ」
「そうですね。では、そのようにおっしゃってください」
「・・・・・・は?」
「お通ししろ」
 狼が外に向かって声をかけると、一人の女性を伴って、煙が入ってくる。入って来た煙は、部屋の中で渦を巻くと、人の形をとった。
「す、すまねぇ、皇帝。やっても大丈夫だからやれって命令されてしかなたく・・・・・・」
 そういいながら、全身を煙で構成している種族であるジンは、狼を伺いながら皇帝に謝る。ジンの言葉に、机から体を起こしつつ、片手を振る。気にする必要はないさ、と意味を込めて。
「お前も大変だな、こんな獣の直属の部下で」
「そんな!オレっちには勿体無いお言葉です。それに、ノロケ話を除けば、全体的にいい上官であることは確かですんで」
「そうか。案内ご苦労。下がっていいぞ」 
 皇帝の言葉に、ジンは一度その体の形を崩すと、地面すれすれで滞留。その形はまるで薄く積まれた泥のようだ。体の軽いジンにとって、低い位置で留まるのはかなりの負担となる。そのため、ジンの敬礼動作は地面で滞留することなのだ。


 皇帝に敬礼し、退室した今、皇帝の執務室には三人の人影がある。この部屋の主であり、人間である皇帝。皇帝の側近の側近の一人である狼。そして、隣国の女性が一人。人間であり、レギオン教の女教皇。聖母と呼ばれている人間だ。
「・・・・・・で、あんたは何の用だ。さっき文書は読んだが、結婚とかなんとか」
「・・・・・・?その手紙を出したのはかなり前のはずですが、今読まれたのですか?」
「・・・・・・おい、どういうことだ。この手紙は今届いたんじゃないのか」
「いやぁー。この手紙渡したら、皇帝逃げると思ったんで。手紙は開けてないけど、向こうから何かしらアクションあると思って。聖母が正門に来てから皇帝に渡したんだ」
「あぁ、だから守衛の方が戸惑っていたのですね。今日こちらに来るのは手紙には書いたはずなのですが、そのような話は聞いていないと言われまして。お断りするつもりならその手紙を出すはずなのに、おかしいな、とは思っていたのです」
 皇帝は、二人の話を聞いて、頭が痛くなるのを感じた。つまり、この手紙を狼がすぐに届けて、皇帝が断りの手紙を送れば、そもそもこのような状況になってはいなかったのだ。面倒ではあるが、これから手紙や書類の類は自分で取りに行こうと決意した皇帝であった。
「遠いところわざわざ来てもらって申し訳ないが、帰っていただきたい。あなた方レギオン教のいざこざに巻き込まれるつもりはない」
 今更ではあるが、机から体を起こし、口調も改める。
「たしかにそうかもしれませんね。私と結婚すれば、確実にレギオン教のゴタゴタに巻き込まれます。ですが私だって結婚相手ぐらいは選びます」
「ほぅ。では過激派と縁の薄い国王や皇帝に見境なく送っているわけではないというのか」
「ええ。私だって乱暴な方は嫌いですので」
 女教皇の言葉を聞いた皇帝は首をかしげる。
「乱暴、といえば、我が領地は他の地域に比べてかなり乱暴な方だと思うぞ?あなた方のように宗教で治めているわけではない。少し離れるが、民が意見を出し合って統治しているところもあると聞く。そのような手段を取っているわけでもない。武力統治を基本としているここほど乱暴なところもないだろう」
 皇帝の言葉に、女教皇は微笑んだ。
「ええ、たしかにここは乱暴な統治の仕方をしていますね。侵略戦争を行うこともあると聞きます」
 女教皇の言葉に、心当たりがあるので、頷くだけにしておく。たしかに、つい昨年、近くの集落の部族侵攻計画を実行したばかりだ。
「ですが、それも先に手を出してきたのは相手がただと聞きます。現在は侵攻後に比べて治安の改善が見られるそうですね。そのような方が乱暴なわけがありません。このお城の守衛の方も優しかったですし。他の領地ではもっと不敬なこともされました。教育が行き届いている証拠だと思います」
 たしかに、隣の部族は境界としていた山を度々超えて侵犯行為を行っていた。それにいい加減鬱陶しくなり侵略したのは事実だ。外での戦いに不慣れだったため、かなり手こずったが、先ほどのジンはよく働いてくれた。どこの出自かよくわからないやつではあるが、戦闘面では重宝している。
 領地を統合した今となっては、地下の道も接続し、今では自由にできるようになった。統合した直後驚いたのはその教養の低さだ。大半が獣人や鳥人だったのだが、読み書きができないものが大半だった。今は領地の学習処で読み書きから教えている。
 そして、女教皇の台詞にあった、『不敬』という言葉。おそらく性的に不快な思いもしただろう。どうやら書簡を出して拒絶されたところ以外には赴いているようなので、苦労しているのだろう。
「・・・・・・なるほど。あなたのこの領地の評価はよくわかった。だが、私はあなた方レギオン教の宗派のこともその基本思想のことも理解できない。この世はこの世だ。死ねばそれまでだし、前世の行いが悪いから太陽の下で焼かれる日々を送っている、ということも理解できない。だから私はあなたと共に歩むことはできない」
「そうですか」
 ふと、女教皇が上を見上げた。そこには天井しかない。天井の上には当然空があるが、地下のここでは太陽など見えるはずもない。
「そういえば、今日は月が出る日ですね」
「それがどうかしたか」
「過激派の皆さんが、私がここにいることを知ればどのような行動に出るか、少し気になったもので」
「・・・・・・なんだ、そんなことか」
 皇帝の言葉に、この部屋に入ってきて初めて女教皇の表情が動いた。どうやら過激派が動いたことを『そんなこと』の一言でかたずけられたのが気にくわないらしい。
「ここをどこだと思っている?月が出ている時間帯に攻め入ってくることがどんなに愚かなことかを思い知らせてやる」
「ですが、皇帝よ」
「どうした」
「いまここで打って出ては、穏健派を擁護する、という立場を主張するものとなります。それでよろしいので?」
「あー・・・・・・」
 狼の言葉に、皇帝は浮きかけていた尻を椅子につける。
「それはよくないな。今の所レギオン教のどちらにも付く気はないし」
 皇帝は、顎に手を当てた。
「・・・・・・この領地の方針にはどちらも合致していないんだよな。ただ、過激派に付くとなると、人間以外の領民を敵に回すことになる」
「そうですね。この土地にはすでに多くの種族が共生しています。過激派と組めばそれらの種族全てを敵に回すことになるでしょう」
「だったら過激派がここを攻め入ってくるのも時間の問題・・・・・・か」
 皇帝が立ち上がると、狼が姿勢を正した。
「おい。女教皇。本当に過激派はここに攻め入ってくるのか」
「わかりません。ですが、過激派としては穏健派が勢力を伸ばすのは少しでも抑えたいはずです」
「・・・・・・確かにな。よし、見張りを増員しろ。領地の最外殻の地下道に精霊を集中。警戒を厳にせよ」
「了解!」
 狼は、右の親指を自らの左胸に当てて敬礼を行うと、執務室から飛び出していった。
「ひとつ聞きたいのですが」
「なんだ」
「あの様な方々でも精霊術は使えるのですか」
「は?当然でしょう。種族属性が重なっていれば、奴らの方がうまく扱うこともある。たしかに俺たち人間は金行の精霊の扱いはうまいが、木行の精霊はさっきの狼や獣人の方が扱いはうまいし、土行の扱いでノームなんかの右に出るものはいないな」
「・・・・・・そう、ですか」
「属性相性なんかも関係してくる。人間は土行の精霊術もそれなりにつかえるが、水行の精霊術は相性が悪い。・・・・・・その程度のことも教えないのか、そっちでは」
「お恥ずかしい限りです。やはり私はここで学ぶべきことが多くあるようですね」
「そうしたければそうすればいい。ここは敵対行為をしなければ基本的に誰でも入れる。公的な訪問としてここに顔を出すのではなく、個人的に学習処に行くのなら止めはしない」
「そうでしたか・・・・・・。それでは今日のところは帰らせていただきますね。お邪魔しました」
 そう言うと、女教皇は皇帝に背を向けて執務室を出て行った。


 それから数日。
 女教皇の懸念は無駄に終わった。
 過激派は皇帝の納める領土に攻め入ってくることはなく、比較的穏やかに時は流れていった。
「あー・・・・・・。面倒臭い」
 執務室では皇帝が今日も文句を言いながら、書類の確認を始めとする仕事に追われている。
「早く結婚して、仕事を分担できる相手を作れば良いではないか」
 財務一般を取り仕切っているフクロウ頭の男いう。
「あのレギオン教の女教皇などどうか?なかなか思慮深いようであるし、皇帝とも気があうと思うが?」
「お断りだ。結婚だけでも面倒なのに、レギオン教の争いの元を手元に置くなんて考えただけでも面倒臭い」
「皇帝!!」
「なんだ、騒々しい・・・・・・」
 執務室に飛び込んできたのは、皇帝の腰のあたりまでしかない身長の男だった。ノームの男で、領地の最外殻の警備を任せていたはずだ。
「れ、レギオン教が攻め入ってきました!」
「はぁ・・・・・・。お前が変な話をするから寄ってきてしまったじゃないか・・・・・・」
 皇帝はフクロウ頭を恨めがましく見るが、そんなことをしても状況は変わらない。
 攻め入ってきたレギオン教を迎え撃つために、皇帝は立ち上がった。


「これは皇帝!」
 皇帝が地上に出ると、2つの太陽と暑苦しい声が迎えた。
 太陽を遮るために、布を巻きつけた皇帝は、前方を見据える。ひとつ先の砂丘のうえで、レギオン教の陣営が出来上がっていた。
 大きく息を吸う。
「レギオン教の諸君!ここは貴様らの納める土地ではない!早々に立ち去れ!!」
 皇帝の張り上げた声に、レギオン教の中から一人の人物が一歩前にでる。
「異族と親しくする背徳者め!!そなたらが我らが同志である聖母を匿っているのはわかっている!おとなしく差し出すならよし!差し出さぬならそなたらも背徳の罪で裁いてくれようぞ!!」
「何事ですか!!」
 レギオン教に声を返す前に、皇帝の後ろから声が響いた。
「あなたの危惧していたことが起こっただけです。慣れているのでご安心を」
 後ろを振り返ることなく声を返す。
 その言葉に嘘はない。誰でも受け入れているこの領地では、よくこういった侵略者が訪れる。レギオン教の経典を考えれば、今まで攻め入ってこなかった方が不思議なぐらいだ。
「裁く?裁くといったか!?我らは自由の民!この太陽に忠誠を誓い!この太陽の子なり!!その太陽以外の裁きなど!我らには不要!!」
 振り返ることなく、視線だけで後ろを確認すれば、狼に付き添われて女教皇が泣きそうな顔で佇んでいる。その顔はむき出しで、そのままではすぐにやけどを負ってしまう
「おい、その女に布をかけてやれ。父なる太陽にきつい仕置をされるぞ。諸君!!我が領地の親愛なる諸君!!目の前に我らの自由を脅かすものがいる!生まれるより前のことの亡者がいる!!我らの太陽の剣で目を覚ましてやれ!!我に続け!!」
 そう叫ぶと、皇帝は自らの剣を解き放ち、レギオン教に向かって。駆け出した。


「やはり我らが皇帝は無敵よ!!敵に囲まれたと思ったら、その敵を一喝!それだけで怯ませてしまうんだからな!!」
「いやいや!!それを言うなら、あの速度!砂地であるにもかかわらず、まるで背中に羽が生えたかのよう!空を飛ぶ我らよりも早いのだからな!」
 皇帝の治める領地では、戦勝を祝う杯が交わされていた。いつもは薄暗い地下が、今はまるでそこかしこに太陽があるかのようだ。灯りとなっているのは、火行の刻印が打たれた鉄柱だ。火行の刻印によって、火行の精霊が集まり、あかりとなるのだ。
 その宴から一歩離れるようにして、一段高い椅子に座っている人影がある。皇帝だ。
 目の前には女性の人影。いつもは静かな微笑みを浮かべている女教皇がいた。そして、その表情は暗い。
「今回はこのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
「別に良い。このようなことは慣れているし、はじめにここに来た時にあなたもこうなることは予測していただろう。なぜ今になってそんなことをいう」
「・・・・・・あれから、ここで様々なことを学び、様々な人と出会いました。だから、この土地が私のせいで争いごとに巻き込まれることが申し訳なくて・・・・・・」
「そのことがわかっていながらこの土地を幾度も訪れたのか。罪深いな」
「それはっ・・・・・・。その通りです。私は罪深い女です」
「別にいいではないか。それはあなた方の経典に記されていることだ。それを信じるなら、この世にいる全ての種族の根本は罪人だ。今更変えられることではない。きにするな」
 そう言って、酒を口に運ぶ。
「どうしても気にする、というなら、この土地にレギオン教の教会でも立てればよい。そうすれば、あなたもこちらにレギオン教の教えを授けることができるだろう。一方的に受け取るだけではなくなる。それで罪滅ぼしとすればよい」
「・・・・・・それでいいのですか」
「構わないさ。やはり軍事だけでは限界が出てくる。宗教を必要としているものだっている。愛おしいものをなくしたものが、この地には多くいからな。そういった人なんかには多いだろう」
 皇帝の言葉を聞いた女教皇は頭を深く下げた。
「まぁ、はじめは大変だと思うけどよ、頑張ってくれ」
「はい・・・・・・!!」
 頭を下げているため、その顔をうかがい知ることはできないが、女教皇の影の中を、水滴が黒く染めた。

Yves TOPTAROT TOP
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