「・・・・・・よって、龍は我らの神なのです」
 月が天頂から動かず、常に大地を見守る大陸。そのなかでも土行の色が濃い地域において、一人の老人が少数の子供を前に喋り終えた。
 子供達は小さかった。
 子供達は、ドワーフと呼ばれる種族の子供で、同じ年代の他の種族と比べても小さいのが特長だ。
「法王様、じゃあ、祭壇は何のためにあるの?」
 子供の中でも、ませた所のある少年が手を挙げた。その言葉に、法王は苦笑する。『じゃあ』、という順接を用いたが、先ほどの話に祭壇は関係無い。先ほどまで話していたのは、龍をどうして龍神教が神として崇めているかの説明だ。
「祭壇と龍は関係ありませんよ。祭壇は、精霊様が多く集まる場所です。祭壇は何かのためにあるのではなく、そこに精霊様が集まるから、危ないから分かりやすくしているだけです」
 法王の言葉に、子供達のなかの少女が首を傾げた。
「危ないの?せいれいさまがいっぱいいたら、いいことじゃないの?」
「いいえ、確かに聖霊様がいなければ、精霊術は使えないので、とても不便ですし、聖霊様がいないととても苦しみます。ですが、多すぎても大変です。多すぎると、自分を見失ってしまって周囲を攻撃してしまうのです」
「・・・・・・パパやママにも?」
 首を傾げた少女が、悲しそうな声で聞いてきた。
「ええ、そうですね。だから、そうならないためにも祭壇を作っているのです」
「法王様。精霊様がそんなにいっぱい集まる祭壇なのに、龍は生まれないのか?」
 今日の説法が終わった後に、祭壇の意味を聞いてきた少年が再び聞いてきた。今度聞かれた疑問は、龍神教に改宗してきたものが真っ先にぶつかる疑問だ。だからこそ、その答えは持ち合わせている。問題は、それをどのようにして子供に伝えるかだ。
「龍はね、精霊様が集まるだけでは生まれません。龍はみんなが住んでるこの地面のずっと先。海と呼ばれる場所で生まれます。龍の卵は見つかっているけれど、その卵は、龍が食べた時間を卵にしているんです」
「?その卵から龍は生まれないのか?」
「いいや、その卵からも龍は生まれます。ただ、その卵を産んだ龍は、いなくなってしまうので、龍が増えていることにはなりません」
「・・・・・・死んじゃうの?」
「いいえ。そうではありません。龍は、人間の姿になるのです。長い間龍の姿でいると疲れてしまうからです」
「どうして人間の姿なの?私たちのことは嫌い?」
 小さい子供に特有の感性で少女が聞いてきた。小さい彼女たちにとって、世界は好きか嫌いかの2通りしかない。そして、自分と異なる姿になるということは、自分のことが嫌いである。というふうに分類されるらしい。
「そうではありません。人間がこの世界には多いからです。一番目立たないんですね。人間は金行に属するのですが、君たちドワーフ族の所にもいますね?人間はそんな風に、属性に左右されずにどこにでも住んでいるので、どの属性の龍であろうと、人間になればどこにいても違和感を持たれないのですよ」
 説法を聞いている子供達の顔に、ハテナマークが浮かび始める。それを見て、今回の話は少し難しかったかな、と反省する。反省していた法王の鼻を、昼食の匂いが撫でていく。
「さぁ皆さん。そろそろ昼食ですよ。お家に帰りなさい」
 はぁーい!と返事をした少年少女達が立ち上がり、各々の家のある方向に駆け出していく。それをやさいしい目で追いかけた法王は、自らも自分の家に歩みを進めた。

 法王のいる土行のエヴァンジェーリオでは、高い建物が多くある。
 土が豊富にあり、また、精霊術によってその土を自在に操ることができるからだ。
 建物を高くするメリットはいくつかある。一つは精霊術に関すること。精霊は上空に多く集まっている。その理由として、月に近いから、と言われているが、本当のところはわからない。他にも敵が攻めてきたときに早い段階で発見できる。居住スペースが多く確保できることなどがある。
 それらの理由から、高い建物で構成されているエヴェンジェーリオだが、最も高い建物は法王のすむ協会だ。それもエヴェンジェーリオが宗教国家であるからこそだ。宗教国家であるからこそ、国家の要である協会よりも高い建物の建設は法律で許されない。
 法王が自室に入るとそこにはいつものように誰もいない。
 長年連れ添った妻と死に別れてから、今年で5年目。
 彼女が隣にいなくなってから、生きる気力がなくなったが、法王という立場柄、そんな泣き言も言ってられなかった。もしもこの立場がなかったら、彼女を追いかけていたかもしれない。そんな感情も、最近はやっと落ち着き、先ほどのように子供達と接する機会を持つこともできるようになった。子供達と接するようになってから、妻が生前言っていたことが、実感を伴って理解できるようになったのは皮肉な話だ。
 妻はよく、もっと子供達と接する機会を増やせばいいと言っていた。理由を聞けば、子供と接することが向いているというのだ。彼女が言っていた頃は、理由なき反発で決して従わなかったが、従ってみると、やはり彼女の方が自分の方をよく見ていてくれていたのだ、ということがわかる。どうして彼女が生きていた時にその助言に従わなかったのか、と後悔するのはもう疲れてしまった。
 台所に向かい、慣れた動作で紅茶を入れる。最近では間違えてカップを2つ出すこともなくなった。それがいいことなのか、自分の中の妻の存在が薄くなっているのか。最近よく考えることだ。法王として、信者たちには死者は精霊となり、私たちを見守っている。と説いているのに、その自分がこうでは説得力はないだろう。
「ああ、龍よ。できれば私を早く精霊様と同じ重さにしておくれ」
 龍神教において、人の寿命を決めているのは龍だ。死した人は精霊となり、この世を賑やかにする役割を担う。生前の姿を保ちこの世を漂うものもいるが、それは個人の意識とは無関係だ。龍神教の法王として、様々な人に出会うが、望まずにこの世に止まっているものがいることも確かだ。そういったものと対話して、この世から解放されるための手助けをするのも仕事の一つだ。
「法王様」
 紅茶に口をつけると、ノックの音と共に、法王の名を呼ぶ声があった。
「入りなさい」
 失礼します、と言いながら入ってきたのは、男性司祭の一人だった。身長は法王が見上げるほどあり、その口は常に半開きだ。トロールの彼は、近々法王の世話役に命ぜられてここに勤務している。法王がどれだけいらないと言っても、下のものがあてがってくるのだ。 「今日の昼食はどうなさいますか」
 トロールの言葉に、法王は宙を眺める。
「どうしようか・・・・・・。今日はあまり食欲がないんだ」
「いけません。法王様がそんなでは、信徒に示しがつきません。食事はきっちりとっていただかないと」
 いつもの小言に、法王は苦笑する。
「そうだな。確かに食事は摂らなければいけない。じゃあ、そうだな・・・・・・。食品保管庫のものを使って何か作ってくれないか」
「なにかご希望は?」
「あまり重いものは気分ではない。軽めのものを頼もうか」
 法王の言葉に、トロールは頭を一度下げると、食品保管庫がある部屋に入っていった。トロールの背中を見送り、再び紅茶に口をつける。紅茶の香りが鼻に抜ける。その余韻に浸っていると、妻との馴れ初めを思い出した。
 初めて妻に出会ったのは、法王がまだ龍神教の一般司祭だったころだ。

 後に法王となる青年が、昼の休憩中。エヴァンジェーリオでも人気の喫茶店、その屋外テラスで、天中にある月を眺めながら紅茶を飲んでいた時に、後ろの席で金属音が響いたのだ。
 何事かと店中の視線が集まる中にいたのは、額から二本のツノを生やした鬼型種族であった。そして、おそらくその鬼の頭を叩いた金属製の盆を持ったこの店のウェイトレス。座っている鬼を見上げる形になっているそのウェイトレスは、おそらくドワーフだろう。その目は怒りに燃えている。
「出て行ってください」
 一応丁寧な言葉を使ってはいるが、その言葉の節々から、怒りの色が見える。
 頭を叩かれた鬼は、叩かれた部位を撫でながら立ち上がる。
「てめぇ・・・・・・。客に対して何しやがる」
「客としての礼儀を守らない人は、客とは呼びません」
 鬼を見上げるドワーフの女性の言葉は強いが、その身長差は比べる必要もないほどだ。
「まあまぁ、落ち着けや。同じ国に暮らすもの同士。何が原因でこうなったんでぃ」
 青年が見ていると、鬼とドワーフが睨み合っている側の席から、一人の老ドワーフが立ち上がって二人の怒りを鎮めようとする。
「あぁ?なんだよ羽虫が一匹増えやがった・・・・・・。この店は客の注文の一つも持ってこれねぇのか!!」
 老ドワーフの出現に、鬼が怒りのボルテージをさらに上げる。
「ですから!出て行ってくださいと言っているでしょう!」
 老ドワーフは完全に無視で、二人は言い合いを続けている。わざわざ立ち上がり、仲裁に入った老ドワーフがこれでは可哀想だ。青年が店内を見渡せば、目の前の食事に集中するもの。メニュー表で顔を隠すものなど、積極的に関わろうとしているものはいなかった。
 それを目にすると、青年はため息とともに立ち上がった。椅子が地面をする音に、人の視線が集中するのがわかる。靴の音が響くようにわざと歩けば、言い合っていた二人が、横目で青年を確認する。
「あまり騒がないでいただきたい。これではせっかくの休憩が休憩で無くなってしまう。私はできれば休憩中は仕事をしたくないのです」
 青年が一般人であれば、おそらく先ほどの老ドワーフと同じく無視されていたであろう。しかし、青年の服はエヴァンジェーリオにおける国教の龍神教の司祭服だ。直接国政に関わっているものも少なくない司祭に、悪い印象を与えて得になることは一つもない。
「し、司祭様?!こ、これは失礼しました!この通りですからどうかご容赦を!」
 と、こうなることを予想していた。しかし・・・・・・。
「うるせぇな!関係ねぇやつがごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ!」
「すみません。騒がしいことは謝罪しますが、気になるようでしたら、お会計を済ませて退店ください」
 青年の予想をことごとく裏切る反応に、青年があっけにとられていると、ウェイトレスであるドワーフの言葉を聞いた他の客たちが次々と退店していった。店内に残されたのは、ウェイトレスと鬼と司祭の三人だ。
 青年を無視して対立の姿勢を一向に緩めようとしない二人に、青年のなかでもまた、ふつふつと怒りの芽が育っていった。そしてついに怒りは青年のなかで花をつけ、実を落とした。青年の両手に宿る雷として。
 もともと属性相性のよいドワーフには過ぎた説法であった。頭に雷を落とされた女性は頭を抱え、地面にうずくまっている。鬼は隠行であるため、相性が良いとは言えないが、雷は僅かながら陽行の気を帯びている。少なからずダメージはあったようで、机に突っ伏してしまった。
 冷静になった二人に話を聞くと、どうやらあまりにも注文したものが来ないことに苛立っていた鬼の隣で、後から来た客の料理が来たことに沸点を超え、貧乏ゆすりとテーブルの端を削る。という行動に出たらしい。貧乏ゆすりと言っても、大型である鬼の貧乏ゆすりは馬鹿にできない。青年は気がつかなかったが、周囲の客から苦情がではじめたらしい。テーブルも、土で作られているもののため、削れば当然土煙が立つ。客からの苦情に対応したのがこのウェイトレス。ということらしい。
 話を聞けば小さなことであった。青年は、厨房に声をかけると、鬼の注文を早急に作らせると、自分用にいっぱいの紅茶を注文した。空を見ると、休憩時間はもうそろそろ終わる頃だったが、多少足が出ても問題ないだろう。
 運ばれてきた紅茶を飲んでいると、敵意に満ちた視線を感じた。そちらを見れば、先ほど雷を落とされたドワーフのウェイトレスが睨んでいた。仕事柄、人に恨まれることには慣れている。その視線を無視して紅茶の味と香りを楽しむと、青年は喫茶店を後にした。

 あの頃はまさか結婚することになるとは思わなかった・・・・・・。
 今更ながらに妻との馴れ初めを思い返して、法王は紅茶を口に含む。カップがやけに軽いことに疑問を覚え、カップの中を見ると、そこに琥珀の液体は無くなっていた。
 キッチンで調理しているはずのトロールを伺うと、まだ昼食はできそうにない。カップもからになりすることがなくなった法王は、妻と親しくなった出来事に想いを馳せる。今日はやけに妻のことを考えるな、と思うが、最近はそんなこともしていなかった。たまにはいいか、と自分を許すことにする。

 喫茶店でのいざこざから数ヶ月後。
 青年がそんなことがあったことなど忘れ始めていた頃、街中で下腹部に鈍い衝撃を感じた。殴られた、というよりは何かがぶつかったような衝撃に視線を下におろせば、ポニーテールの頭が見えた。上から見るに、どうやら後ろを確認しながら走っているところだったらしい。そして進行方向にいた青年に気がつかずにぶつかったらしい。
「あ、あんた!」
 顔を上げ、青年の顔を確認した女性が叫ぶ。どうやら相手は知っているようだが、青年はこのような女性を知らない。なにせ毎日大勢の人の相談に乗ったり諍いを解決したりとあちこちを駆け回っているのだ。もしかしたら知っているのかもしれないが、青年に心当たりはなかった。
「こっちきて!」
 女性に手を引かれ、人気のない方へと引き込まれる。後方を確認すれば、トロールの二人組が周囲に目をやりながら歩いてくる。ドワーフのようすから、あのトロールに追われているのだろう。
「何をしたんだ?」
 青年が尋ねれば、ドワーフは『何も!』と叫んだ。叫んじゃダメだろ、と思うと同時、トロールがこちらを見つけた。青年の服を見て、一瞬躊躇ったようだ。しかし、躊躇ったのは一瞬で、その後には周囲の人をかき分けながらこちらに向かって歩いてくる。
「司祭様。その女をこちらに引き渡してください」
 トロールの口から出た、以外にも丁寧な言葉遣いに、青年はおや?とおもう。
「二人組の大男に、一人の小柄な女性を引き渡すわけにはいかないな。正当な理由があってもダメだ。どうしてもこの女性に用事がある、というのなら教会で話を聞こう」
「ではそのようにいたしましょう。そちらの方がこちらとしてもありがたい」
 トロールの言葉に疑問を覚えながらも、教会に行くために、足を踏み出した。進もうとするが、いつもよりも体が重い。手を握っているドワーフが全力で抵抗しているのだ。抵抗する理由がわからず、青年はドワーフを抱え上げた。
「うわ!なにをする!はなせ!」
 抱え上げたことで一層抵抗するドワーフと、二人のトロールを連れて、青年は教会へと向かった。

 教会で話を聞けば、妻は貴族の出身であり、二人はその護衛であると聞かされて驚いた。本当かどうか確かめようと妻の顔を見ると、不機嫌そうな表情でそっぽを向いており、それだけで声に出して確かめる必要がなくなった。
 その後は二人の護衛に教会で保護してくれないか、と頼まれた。誰かが雇った暗殺者に狙われているのだという。その頼みを聞き入れ、彼女と共同生活するようになったのが、親しくなるきっかけだった。
 共同生活を通じて、彼女の可愛らしさに徐々に惹かれていったのだ。
 暗殺者を迎撃し、その依頼主を特定。危険を排除すると、共同生活をする理由がなくなってしまった。このままではもう共に過ごすことはできなくなってしまう。そう思った法王は、告白したのだ。
 告白を聞き届けた彼女は、共同生活の終わりを全く考えてなかったようで、法王の言葉でそのことに気がついたようだ。一瞬キョトンとした顔をしたのち、一筋の涙とともに『嬉しい』と言ってくれた。
「法王様?」
 法王という地位についてからも、妻の態度が変わることはなかった。それなのに、今更そんな名前で呼んでくれるな。ぼんやりとする意識の中で、法王はそう思った。
「法王様!!」
 法王の住む一室。世話役と部屋の主である人しかいない静かな部屋で、法王の意識は精霊と同じ重さとなった。

Yves TOPTAROT TOP
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